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ここネタ帳よ!!!!!!!!!!!

コミュニケーションの究極型、それは「本音を上手に発露することである。」

人は、会話するとき、その言葉に魂を込めるものである。
だから、それが否定されればムキになることだってあるし、肯定されれば嬉しいのである。


人は、議論をよくすると思う。
相手を懐柔させたいがための議論というものもあろう。(はい論破~みたいな)

 

論破という言葉を使う時点でその人はまあお察しなのだが、
たとえ、相手が表面上納得したかのように見えたとして、その人は本当に納得したのであろうか。
心のそこで「やっぱり納得がいかない」とか、
「一見正しいことを言っていても、机上の空論にしか聞こえない」とか思うのではないだろうか。

 

人が本当に納得するもの、それは「経験に則したこと」なのである。
だから本当に議論するとあっては、言葉とは、その個人の体験から来る「実感」の話の戦わせとなるのであって、人の心を本当に納得させるということは不可能に近いのである。

 

しかし、心のそこから納得させないにしても、謙虚に意見を発するという方法はある。
これは相手の反感を買わない。

それは、即ち、私の意見とは、私自身の体験からくる実感なのですよ。ということの表明である。

 

 


「根拠」・・・これは議論に於いては必要不可欠なものなのである。
本人の実体験なら、なおのこと説得力がある。

 

 

 

それこそが、一番歩み寄りのできる議論といえる。
中身のない抽象論よりかは、具体性というワケである。

 


さもなくば、コミュニケーションとはつきつめて行うと「言葉遊び」なのである。

 

 

歩み寄ることは限りなく可能。しかし相手を懐柔させることなど、不可能なのである。
で、そもそもとして歩み寄ることすら諦める・・・それが「言葉遊び」である。

 

では、言葉遊びってナンデスカ?というと、自分の正当性をただひたすら主張するのではなく、自分自身がその場で有利となるような言葉を選ぶ、ということである。

 

 


そのためならば、自分をサゲてまで相手を褒めることもあるし、なんかムキになっているかのように見せることもあるし、拗ねてみせたりと、まあプライドもクソもないのである。(生きながらの人狼ゲームである)

 


そういった人間というものは、逆に自分をよくみせよう、よくみせようとすればするほど、相手を白けさせるということをよく知っている。


他人のプライドなんぞ、人にとってはクソにも値しない。


早い話が、自分自身を心のそこから認めてくれるものなぞ、この世には存在しないのである・・・ということを経験上分かっているのである。


そうして、物事を相対的に見るようになった結果が、「言葉遊び」というものなのである。

 

自分自身の気持ちというのは、自分が一番よくわかっていなければならない・・・。


ということを経験としてマナブと、人は自ずと自分の本当の弱みをさらけ出さなくなる。
というより、その必要性を感じなくなる。

 

 

 

 

 

 

しかし・・・


さらに行けば、その「弱み」自体、相手にとってはなんちゃない事象なのであり、さらけ出したところでどうってことがないということに気がつく。
それに対して誹謗中傷する人なんか、そんなに深く考えて行ってはいないんである。

 


むしろ、そうやってうまいこと本音をさらけ出すことによって、世も渡れるし、嘘を付く必要性もなくなるから心の重荷も消え去るというワケである。

 

 

まあただ、とある思想家であることによって命を狩られる危険性のある国家などもあるんである。

そういった状況の人々にあっては、やはり人生とは生きながらにしての人狼ゲームなのであろう・・・(´-ω-`)

 

 

コミュニケーションの究極型、それは「本音を上手に発露することである。」
本音よりは嘘、嘘よりはおべっか、しかし最終的にはやっぱり・・・本音を言って生きていくことが最上だと私は考えている。

(平和な国、ニッポンに生まれてヨカッタネ)

 

その境地に至ったのかは別としてだが・・・。


ただし、それは人との間に軋轢を起こさない、上手な言葉選びによって行われなければならない。