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ここネタ帳よ!!!!!!!!!!!

技術、趣味の習得ではなく、「酔いしれる気分」の習得

技術というのは、持っていても持て余していてはイミがないものなのである。
先ず、「気分」を習得しなければならない。

 

高度になると、自らトランス状態に入っていくことができる的な話を聞いたな。(曖昧)
沖縄のカミダーリは、拳で膝を叩き、リズミカルに神の言葉を発しながら脳の状態を移行させる・・・というのをテレビで昔みました。

 


「酔う」っていうのは、大抵はエタノールで脳がマヒした状態をいうのだが、それ以外には、何らかのものに対して「酔いしれる」などといった意味がある。
それは即ち、対象物に対する「没入」を意味する。


それが、エタノールで酔うのと似たように用いられるのは、両者ともに「恐怖心」の喪失によって、対象物との距離が近くなるからだ。


酒に酔っての無礼講と同様、対象物に対して酔いしれれば酔いしれるほど、その距離感は近しくなっていく。

 

このはたらきは、自分と、対象物とが、「同じ構造である」という認識を持つからなのではないだろうか?(推測)

 

まあ、人間は、近い考えの人とくっつく傾向がある。
自分と意見を異にする人間というのは、いうなれば「恐怖」でもあるといえる。

さらに行けば、人間じゃなくて動物になるとさらに何を考えているのかわからなくなるから警戒は高まり、
動物どころか虫に至っては、もはや嫌悪の対象である。

 

 

このように、自分にとっては異物であれば異物であるほど恐怖心というものは高まっていくものなのである。
人間とは「共感」の生き物であるといえる。

 

 

まあ、ただいますよね。


全然人間自体に近しくない、
メカニック、昆虫、バイク、車、花、政治・・・
そういったものに興味を持つ方も。

 

 

↑はとっつきにくいと感じて敬遠する人も多いんじゃないかな。

 

しかし、これらに興味を持つ人というのは、こうした人間と距離の離れた異物に対して「恐怖」が取り除かれた人間なんだよ。
それどころか、自分自身との共通点さえ見出すものもいる。


とある愛国心は自己愛の延長線・・・ともいわれる。
このように、実際には異なるものを、自分の心情に重ね合わせることによって、興味というのは形作られている。

 


その説でいけば、ガンダムで遊ぶ男の子も、人形で遊ぶ女の子も、むらにはまったく同じものに見えるのである。
どちらも、自己をその対象となるものに投影しているという見方ができる。

 

 


なにかに対して、興味を持ちたい。
そうした時には、自分の心情と、その対象物とを重ね合わせる気持ち、つまり酔いしれる心が大切。


なんとなく難しそー・・・と思いながら取り組んでいても頭にはスンナリ入っていかない。