web漫画公開している「むら」です

ここネタ帳よ!!!!!!!!!!!

表現の自由を唱える前に、自由に表現できる方法を考えてみる

①会社の同僚が出世した。とっても嬉しい。と表ではいっておいたが、あいつの正体だれも知らねーんだ。絶対俺が上なのに不当。
でも公にそんなこといえないだろ?家内に言っても多分文句いわれるし。
しかも家内が調子づいて同僚のことよく言うもんだから、殴りました。





②会社の同僚が出世した。とっても嬉しい。と表ではいっておいたが、内心いい気してない。
仲間と飲みながらこっそり愚痴をこぼした。
けっこうよく思ってないヤツら、多かった。





③会社の同僚が出世した。むかつくから褒めない。キィーッッ
ぜってー俺はあいつに負けないように出世してやるからな?!?!?!みてろよ


 

 

前回・・・一番、「嫉妬」の感情を抑圧しているのは①で、その逆は③であると旧ブログにて書いた。

 

では、なぜ抑圧してしまうのか。

 

「嫉妬」の感情が、社会的に抑圧されているものであるという理由もあろう。

 

 

 

人は、他人から「否定」されることを恐れる

 

 

なにかを表現するとき、批判に晒される場合がある。

否定される場合がある。

だから、とある一定の感情は、批判されないように「抑圧」され、表に明確に露呈することはないのである。

 

 

 

しかし、逆に否定にかかる人間の側の心理を考えてみる必要がある。

 

 

彼らの大半は、「自分自身を防衛するために、批判しているのである」

 

他人を批判するのも、誹謗中傷によって潰そうとするのも、自分自身の正当性を守るためである。

 

 

 

誹謗してくる人間というのは、作家にとっては「恐怖」である。

 

しかし、実は誹謗してくる人間そのものが、自分自身の正当性を脅かされているという、「恐怖」に支配されている。

 

 

 

 

批判にさらされることは、ある程度覚悟しなければならないことである。

特に、何かを表現すると、一定の人間に必ず「脅威」を与える場合があるから、そこを踏まえて、表現するべきではある。

 

 

 

しかしながら批判を受けづらくするという方法なら、あるのである。

 

 

 

誹謗中傷を受けてしまう原因・・・それは作家自身が、

「てめえらは間違ってんだ!!!!」

という脅威的なメッセージを無意識に送ってしまっているということだ。

 

たとえば、漫画でオタク狩りをするシーンなんかがあったとして、それに対するフォローもなにもなければ、それはもはやオタク狩りを正当化したということになってしまうので、その存在を脅かされたオタク当人からの批判は免れないのである。

 

 

 

誰かに対して脅威的なシーンを描いたあとは、それが客観的な事象であったというふうに思わせなければならない。

 

「これはただの事象の一つに過ぎないのであって、脅威を与える意図はなにひとつない」

という注釈をわざわざつけ、漫画の質を落とす必要性はない。

また、なんの免罪符にもなってないと思う。

 

 

漫画には、「主観」と「客観」がある。

 

ひとつは、そのキャラクター(主人公とは限らない)から見た、主観的なシーン(回想シーンとか、心の中の描写)であり、もうひとつは、キャラクターの心に寄り添わない第三者からみたキャラクターである。

 

ここで、「これは作家が主張したいことか。」と思われるのは、

 

「主観」による主張である。

 

 

例えば、なんかのキャラクターにスポットライトが当てられ、そのキャラクターの主観によって世界が展開される。

その中で、そのキャラクターが「猫駆除の必要性」について語りだすのと、

 

第三者から見たキャラクターが、「猫駆除の必要性」について延々と語っているのは、全く意味がちがうのである。 

 

また、第三者から見たキャラクターが、「猫駆除の必要性」について語っていても、主観的にみたメインのキャラクターが、「それは一理あるな」

とか思っていたら、それは「猫駆除の必要性」について肯定されたということになるのである。

 

批判されたくなかったら、その「主観」を展開しているキャラクターに脅威的なメッセージを言わせないこと、あるいは、脅威的なメッセージを言ったあとでも、たとえば他のキャラクターの主観によって否定をさせること。

 

第三者視点のキャラクター、たとえばなんか遠くにいる人が、いくら「レズビアンを殺せ!」と叫んでいても、主観を展開しているメインキャラクター、読者がいま感情移入するべきキャラクターが、(それって、ちゃうやろ?)と思っていると、これはレズビアン殺戮のメッセージにはならないのである。

(これは単純な例だが)

 

 

 

 

 

 

いろんな人がいるんだから、批判にさらされること自体は当然の理である。

もし、悪意がないにもかかわらず、批判にさらされてしまったのだとしたら、それは作家の表現方法に問題があったのである。

(ただ、純粋な悪意によるコメもある)